このところ放送されていたドラマで「陰陽屋へようこそ」というのがありました。実際浄土真宗と言う教えは、占いとか、祈祷とか、一切やらないし信じないと言うものでして、最初、タイトルを見たときに、そういったものが出てくる眉唾物のドラマかと思っておりました。そうしたら、違うんですね。陰陽屋さんなので、一応客の依頼によって、占いもやる、祈祷もすれば御札も作る…だけど最後に来るのは「呪い、祟り、幽霊…そんなものはないんだよ」と言うオチ、至って浄土真宗的な陰陽屋さんなんです。
陰陽屋さんではないですが、こんなことを言われたことがあります。他宗はともかく、大谷派では、住職になる前に教師と言う資格を取るために、修練といって夏と冬にそれぞれ一週間、本山にこもって、研修会があります。その時に、先生から言われた課題が、「例えば、寺の住職になったとする、必ずあるのが水子の供養をしてくれと言う依頼…その時にどうするか…」つまり、うちの宗派はやらないと言って追い返すのか、または、どこか水子供養をやっている真言宗か何かのお寺を紹介して終わらせてしまうのか…」これでは、根本的な解決にはならんと、先生はおっしゃるのです。
頼んできた方は、深刻な悩みをもって来ている、それを無下に追い返すのか、とりあえず本堂に入ってもらってお勤めをするか…実はそのあとなんですね。供養の読経をして、頼んできた方は気が晴れたかもしれない、だけど、それで水子がいなくなったわけではない。
「御供養しました」、「ありがとうございました、はいお布施…さよなら…」で水子がどっかへ飛んでって終わり…これでなかったことに…ではないということ。身の事実と言います、身の事実は決して消えることはないんです。
そのことを理解してもらって、さて、これから、いかに生きるかですね、それによって、祟りになるのか、諸仏になるのか、変わってくるんです。